お久しぶりです!琉生です!

最近日本史の授業が楽しくて仕方ありません。

さて今回の話題は

「源義経」

です。

絶対に一回は耳にしているはず。歴史上の人物の中でも特に人気がある…….と….思う…….。

「平家物語」や「義経記」などからなる源義経の伝説の数々…兄 頼朝との戦い…悲劇的な最期…

なぜここまで印象的な逸話が多いのか、なぜ庶民は彼の話を集めたのか、ざっくりとお届けします!

 (⚠️未熟な歴史ファンの書く記事です。細心の注意を払い主観での語りはなるべく避けていますが、それでもそういった部分があります。一種のファンタジーとしてお楽しみください。)

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『源義経ってどんな人』

さっそく、源義経が誰なのか、どんな人なのかをご紹介します。

(その前に)まず、源義経に関しての史料はとても少ないです。歴史上の人物でかなりの人気を誇ってはいますが、源義経について書かれた書物のほとんどが創作物で事実かどうかはわからないのです。今後の研究次第で大きく変わることも十分に有り得ます。(聖徳太子も最近の研究で想像上の人物だったのではないかという説が出ています。現在多くの教科書に「厩戸皇子」と表記されているそうです。)

ま、そんなことを言ったって現段階での史料は今あるものしかないので仕方ない☆

簡単に説明します。

源義経は、平治元年(1159)に生まれたとされています。幼少期の名は「牛若丸」。異母兄に後の鎌倉幕府初代征夷大将軍 源頼朝をもち、父は平治の乱での謀反人 源義朝、母は天皇の中宮の雑仕(雑用係みたいなもの)と記されています。義朝と雑仕の出会いは不明。また義経が生まれてすぐに義朝は死んでしまうという、もうここから悲劇。(ちなみに源氏兄弟は10人以上いたとされています。ほとんど…消され…)

その後寺に預けられるも、物心がつくと寺を逃げ出し自ら元服。「九郎義経」を名乗り始め、奥州藤原氏の元へ下ります。その後まぁなんやかんやあって(チョットヤヤコシイ)、兄 源頼朝と協力し平家を滅ぼします。(壇ノ浦の戦い)

その後の義経の功績や朝廷からの信頼に、頼朝は「示しがつかない…」と焦り討伐を企てます。ここが悲劇の始まりだったんですね。

まぁちょっと長くなりましたが、こんな感じです。このあと義経は日本中を逃げ回り、奥州で最期を迎えます。

詳しくはhttps://bushoojapan.com/tomorrow/2019/05/17/110235

または https://kotobank.jp/word/%E6%BA%90%E7%BE%A9%E7%B5%8C-139234

もしくは書籍などがオススメです。

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『義経伝説』

ここから義経伝説のご紹介です。

伝説の始まりは「義経記」とする人が多いですが、「平治物語」とする説があります。

義経伝説は、共に戦い抜いた兄に狙われ命を落とすというあまりにも悲しい最期に同情した”庶民”たちが噂をかき集めて生み出したものです。正確性も現実味もあったもんじゃありませんが、それでも今なお語り継がれています。その心に火をつけたのは間違いなく「平家物語」であったと私は思います。「平家物語」に書かれている義経の活躍は一際目立っていますが、物語は輝きだけでは終わらず、義経にも今後いろいろ起こるだろうと暗に示し…そこで話は途切れるのです。たまったもんじゃない!!続きは!?これから義経どうなるの!?

どうやって逃げ延びどうやって奥州に入ったのか、詳しくは謎のまま義経は最期を迎えます。義経死す。

伝説の多くは「義経記」から来ていますが、その「義経記」ですら「平家物語」成立後200年経って完成されている…これはたった1人の作者が創り上げた物語ではなく、日本国民が時間と労力をかけ創り上げた壮大な英雄伝説なわけです。ロマンだ…国民で1人の武将の話を創る…ワクワクします。

伝説の中でも

〔弁慶との出会い〕

〔義経生存説〕

は特に有名です。

1000振りの太刀を奪おうとしていた武蔵坊弁慶、999振り集まった時に牛若丸(幼少期義経)が現れます。小柄で弱々しい牛若丸を見て弁慶は油断し、襲い掛かります。しかし軽々と橋の上を飛び回る牛若丸に翻弄されて、最終的に倒されてしまう、というのが弁慶との出会い。そこから義経に忠誠を誓い共に旅する仲間になるのは激アツですよね……この2人は「勧進帳」という歌舞伎の演目でも有名ですね。勧進帳の話、毎度泣きます。

最期に関しての不自然な点や、首が届くまでの謎の時間、秀衡が死んでからの義経の行動、秀衡から家督を託された泰衡がなぜ義経を追い詰めたのか、頼朝の不自然な行動、東北・北海道に残る義経・弁慶由来の名前、などから推測される義経不死説。創作の賜物とはわかっていても、生きていたのではないか、生き延びて静かに暮らしたのではないかと思ってしまうのは、私も悲しき最期に衝撃を受けた人々の1人だからなのでしょうな…

あまり長く紹介すると主観が入ってしまいそうで怖いので今回はこの当たりで止めておきます。

ぜひいっぱい史料を見て、考察をしてみてください。あと、「勧進帳」ぜひ見てください。オススメです。

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今回は想像以上に長くなりました…

途中『何言ってんだ自分』となりながら書いていましたがまとまってよかったです。(まとまってる…?)

歴史の世界はとても広くて深くて面白いです。不確定でもたくさんの魅力が詰まっています。

複雑で難しいものと捉える前に、自分の興味のあるものから深めていってはいかがでしょうか。

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最後に

今回記事を書くにあたり、大変参考にさせていただいた

http://www.st.rim.or.jp/~success/y_densetu.html 様と、

しんどさに悶えながらも情報をくれたり、色々サイトや書籍を教えてくれた友人に感謝を致します。ありがとうございました。

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