ども。琉生です。今週も元気に歴史のお時間です。今回紹介するのはこの方

「豊臣秀吉」

日本史・世界史両方合わせても、この人物ほど出世した人は少ないと言われています。

一体どんな人物だったのか。

今週もLet’sヒストリー

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 尾張(現在の名古屋)で生まれた秀吉。その出生は定かではありません。名のある武将はだいたい生まれた年、もしくは生まれた月日が書き残されています。しかし秀吉の父は下層階級だったとされており、記録が残ってはいません。こうではないかああではないか、と説が立てられ、有力説はあるものの真相は未だにわかっていないというね…

たくさんの功績をあげている秀吉ですが、私が今回取り上げたいのは秀吉大出世のきっかけと言っても過言ではない「墨俣一夜城」のお話です。

永禄9年(1566年)、豊臣秀吉が木下藤吉郎だった時代、美濃国を攻めようとしていた織田信長はある日長良川の川岸に我が軍の砦を作ってくれないかと家臣達に持ちかけます。

しかし、数人の武将が取り掛かるも失敗。すると秀吉が「7日で完成させます。」と言い出します。

相手方に資材を運んでいることを悟られないために、川の上流から資材を流し運びわずか一夜で墨俣城を完成させた、という逸話です。

城と言っても、現代で言うプレハブ小屋のようなもので立派な城ではなかったようです。ですが何人も失敗していた中で奇策を使い建設に成功した秀吉の功績は大きいと言えるでしょう。

とここまで書きましたが、実はこの話は作り話であったという説が有力です。信じている研究者も少なく、御伽噺のような感じで語り継がれています。

それでも、農民から天下人へ上り詰めた男ですからこんな話も広まったのかもしれませんね。

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「露と落ち露と消えにし我が身かな 浪速のことも夢のまた夢」

「露のように生まれ落ち、露のように消えていった私。大阪城で過ごした日々は夢の中で夢を見ているかのように儚いものだった。」

豊臣秀吉辞世の句です。世界でも珍しいほどの大出世をした男の最期にしてはなんとも虚しい…どういう思いで上り詰めた天下だったのでしょうか。

次回もお楽しみに。では。

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