どもっす。琉生です。さて本日ご紹介するのは、

「明智光秀」

本能寺の変で織田信長を暗殺し束の間の天下を手にした後、原因不明でなくなった裏切りおにぎり悪人で有名。あと今ドラマやってるかしら。

そんな彼のちょっと面白い話をご紹介。

(今回の話も前回に続き憶測で話すことが多いです。ご了承ください。)

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明智光秀という男はその人生の前半期が全くわかっていません。出生の時期も有力なのは1528年(享禄元年)ですが、決定的なものではなく他にも説があります。織田信長の元についてから彼の名前が明るみに出てきたのでしょう。信長の元で活躍するものの、本能寺の変で裏切り逃走。

ではその後はどうなったのでしょうか…?ほとんどの文献には「明智光秀は逃げている途中で何者かに殺されその生涯を終えた」といったような記載がされています。

しかし、それは確定ではなく最も支持されている説です。今日お話するのは、明智光秀が生き延びていたという説。結構証拠があるのです。

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みなさんは「南光坊天海(なんこうぼうてんかい)」という人物をご存知でしょうか。徳川幕府を支え、日光東照宮建設の総責任者である人物です。実はこの人物が明智光秀だったのではないかと言われています。

・三代将軍徳川家光の乳母である春日局が城内ですれ違った天海に対して「お久しぶりでございます」と言った(春日局の父は明智光秀の重臣だった斎藤利三)

・日光東照宮に明智の桔梗紋(家紋)がある

・出生もそれまでの来歴も全くわかっていない天海が家康に力をかせたのは元々知っていた仲だったから…?

・家康と天海は対面時、親しそうに話していた

などなど…まぁ噂や説はこれ以上にある訳ですが…ウン…

どの説も決定打にかけるのです。反論しようと思えばできてしまうのです。

それに加えもし光秀が生きていたとしても、年齢は100歳を超えてしまいます。60年生きたらとてつもない長生きと言われていた時代、100歳て…そんな生きる…?ってなるわけですよ。

それでも決定的でない今、天海=明智光秀説は根強く生き残っています。

個人的には天海は明智光秀の親族的な誰かだったんじゃないかなぁなんて思ってたり。

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さて今回は、明智光秀のお話でした。私は「麒麟がくる」をまだ見てないので早くみたいです。

次回は誰か、お楽しみに。では。

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