皆様お元気でしょうか琉生です。歴史です。今日はこの方

「関孝和」

『算聖』と呼ばれたりする、いわば数学の天才です。

ではこの人の何がすごかったのか。

簡単にご紹介します。

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関孝和の出生は詳しくはわかっていません。1635年〜1643年のどこかであったのだろうとされていますが、これといった根拠もなく…だいたい1640年頃と捉えておいていいでしょう。

世界的な数学者の名前をあげる時、日本人の名前はまず出てきません。それは、日本の今の数学が西洋数学(洋算)の下で成り立っているからです。ではなぜ関孝和は数学の天才と呼ばれたのでしょうか。

それは、関が使ったのは西洋数学ではなく『和算』だったからです。

『和算』とは日本独自に発達した算学のことで、中国から採り入れた知識を関らが解読し研究を重ねたもののことを指します。「つるかめ算」や、ネズミ講の由来にもなった「ねずみ算」などが有名でしょうか。

これらを確立した1番の立役者、それが関孝和です。

彼はほとんど独学だったと言われています。自分で中国からの書物を読み解き、日本でほぼ知られていなかった計算方法を確立したり、正131072角とかいうほぼ円を用いて円周率を小数点以下11桁求めたり、代数式の表し方と計算方法を見つけたり、ベルヌーイ数(分数の級数らしい)をベルヌーイさんより早く発見したり(?)と、世界と比べても遜色ない業績をあげています。

中でも『発微算法』は関孝和が生前発刊された唯一の書は日本の数学界に大きな衝撃を与えました。(発微算法とは)当時は出る杭を打とうと粗探しをした人達が「こんなのは間違いだらけでデタラメだ!」「広まってない書籍を丸写ししたものだ!」と叩かれまくりましたが、もちろん関の書籍に間違いはなく、参考にした文献も誰もが手に入れられるものだったこともあり「関流」として多くの人に広まっていきました。

その後その才能を買われ、徳川第六代将軍 徳川家宣に監査役として仕えます。

弟子や後継者も優れた研究結果を発表しており、関孝和の名前はより広く多くの人に知られるようになりました。

しかしその後、和算を廃止し西洋数学を使用することになり和算を学ぶ人は激減。今では数学の教科書のコラムなどでしか出てこない程に…

日本にも優れた数学者がいたんだという事を少しでも知っていただけると幸いです。

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最後に油わけ算の問題を。

「5升の桶と3升の桶があります。この2つを使って4升を量るにはどうすればよいでしょうか?ただし油は自由に汲み入れたり捨てたりできます。」

回答はこちら→http://wasan.info/challenge/quiz09/

ではまた。